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きゃりーぱみゅぱみゅの衣装も手掛けるスタイリスト、飯嶋久美子の仕事術

飯嶋久美子

2013.05.30 UPDATE

スタイリスト 飯嶋久美子

「今、最も人気のスタイリスト」と言っても決して過言ではない、そんな存在が今回インタビューに応えて頂いた飯嶋久美子さんです。飯嶋さんはスタイリストとしての活動に加え、コスチュームデザイナーとして近年ではきゃりーぱみゅぱみゅの衣装を手がけていることでも有名です。飯嶋さんの独創的なアイディアはどのように生まれているのか、また今の日本のファッション業界をどのように感じているのか、まとめておうかがいしました。

飯嶋久美子

一番カッコいいのは着る人にその服が似合っていて、世界観もオリジナルであること

飯嶋久美子飯嶋さんがスタイリングを手掛けた誌面。写真上は「装苑」 2008年7月号 、下は「装苑」2012年5月号。

──飯嶋さんのお仕事の流れを教えて頂けますか。

飯嶋:私の手掛けている仕事は広告、雑誌、アーティストの衣装に至るまで、借りても作っても何でも良い、という形で依頼を受けることが大半ですね。ですが、依頼者側に目指すビジュアルイメージの最終形が最初からあるので、私がゼロから全てを構築するという訳でもないですね。商品担当者やアーティスト本人、PVの監督達と一緒になって自分たちのゴールを目指す職業だと思っています。

ですから、いかに最初のイメージをブレさせずに進めていくか、というのがとても重要になります。何しろ、依頼を受けてから大体10日間くらいしか作業日数がないんですよ!きゃりーちゃんの衣装の場合もそうです(笑)そういった事情も踏まえ、私の中ではクオリティをキープすることがまず大前提としてあって、そこから自分が最初に描いたラフスケッチをどのようにして超えるか、ということも考えながらやっていますね。この仕事に携わってから13年ほど経ちますが、今ではどこにどんな素材があり、どんなものが流行しているか、というのは経験から大体把握が出来ています。だからこそ、依頼内容に対し瞬発力で回答しつつ、さらにその場で起きた良い出会いやハプニングを積極的に取り入れることを意識しています。そのために、自身が常に柔軟でいられるよう気をつけていますね。

飯嶋久美子

──オリジナルの衣装を取り入れていく志向は、いつ頃から芽生えたのですか?

飯嶋:私のスタイリストとしてのキャリアはアシスタントから始まるんですが、早い段階からリースの衣装に限界を感じていたんですよ。借りにいったら他の方へ貸し出していてサンプルがない!という事が日常茶飯事なんですね。そこで、元々衣装制作に関する勉強もしていましたし、オリジナルのものを仕掛けていけば、そういったジレンマから解放されるんじゃないかと考えるようになりました。それに、ファッションで時代を表現していくのにもオリジナルの方が適していると思いましたね。アシスタントを経て、ファッション誌のフォトエディターアシスタントとして1年ほど編集部に入っていた時期があったんです。もともと雑誌は後から見直してみてその時代が反映されるもの。そこが好きなんですが、私自身としては、もっと自由にハイブランドと、日本独自の流行をミックス出来るような企画が出来たら面白いな、と思っていました。

でも実際はメインのビジュアルの殆どは海外で撮り卸したものだったり、ハイブランドには様々な制約があったりして、なかなか雑誌でクリエイションするのは難しいと感じたんです。そうした経験から、自分が目指す形はやはり自身の手で作っていく必要があると考えるようになっていったんです。私が今の形に辿り着くまでには、アシスタントの時はタレントやアーティストをどのように魅せていくかという経験を積み、ファッション誌の編集部に在籍していた時はトレンドやビジュアルについて経験を積みました。スタイリストとしては方向性の異なる2つの仕事を通して、両方の良いところを今の自分に活かせているんだと思っています。

飯嶋久美子

きゃりーぱみゅぱみゅとの仕事、これからの日本のファッション文化

数々のジャケット写真の衣装も手掛けている。上から「つけまつける」 「インベーダーインベーダー」。数々のジャケット写真の衣装も手掛けている。上から「つけまつける」 「インベーダーインベーダー」。

──最近のキャリアを語る上で、きゃりーぱみゅぱみゅの存在は欠かせないと思います。

飯嶋:出会いは彼女のデビューシングル『PON PON PON』で、その衣装デザインからになりますね。PVを撮影するということで、田向潤監督からオファーを頂いたんですよ。監督とはその前に1度だけお仕事させて頂いていて、お声掛け頂いたことがとても嬉しくて引き受けたんです。スケジュール感は月曜日に本人に会って、土曜日には撮影、という感じでした(笑)。最初、オリジナルの衣装を作るつもりではなかったんですよ。でもきゃりーちゃんと話していくうちに彼女自身が好きなもののイメージがあって、それなら作ろうという流れになったんですよね。彼女が、白雪姫が好きで服も「パフスリーブが好き」と言いだして、私も丁度その日パフスリーブの服を着てたりして(笑)。じゃあ上半身を白雪姫にして、下半身は王子様みたいにしたら面白いよね!って話して完成しました。目玉が好きという話もあって、目玉のデザインは田向監督自身がグラフィックを起こしてくれました。それを撮影前日にアイロンプリントしたんです。

原宿のファッションとか、おもちゃ箱のような世界観は自分も若い頃から好きだったし、世代的にぐるっと一周したところで自分と似た感覚を共有出来るので、一緒に新しいものを生み出していけるんじゃないかと思います。

いつも、くり抜かれたきゃりーちゃんの顔だけ載っている紙を持ち歩いているんですよ。衣装コンセプトはこれに書き込みながら本人と落書き感覚で決めていますね。ジャケット写真のような静止画の場合はとにかく無茶苦茶はじけた感じで遊ぼうって話していて、逆にPVやライブの場合は踊りや構成のことも考えて作っていますね。今までの冒険的な取り組みたちは、やっぱり彼女が完全に可愛いから成立しているんだと思います。好きな形っていうのはどうしても決まってくるので、そんな中でも毎回同じものにならないように気をつけています。そして誰かに似てしまわないようにも注意していますね。

飯嶋久美子上はいつも持ち歩いていると言う、きゃりぱみゅみゅの顔がのっているデザインラフ用紙。下はその紙に描いた「ふりそでーしょん」の衣装のデザインラフ。

──今後どのような仕事を手掛けていきたいと考えていますか?

飯嶋:きゃりーちゃんに関していうと、紅白歌合戦での衣装を手がけ終えた辺りから感じているんですけど、どうしても常に速いスピード感での仕上げを要求されるので、衣装としてのクオリティを追求するより、コンセプトといかに合致したものを完成させられるか、というのが一番の課題ですね。

その上でとにかく今はマネ出来ないような服を手掛けていこうと思っています。パーティーグッズとして衣装のコピー商品が販売されているのなんか見ちゃうと、スタイリスト魂に火が点いちゃいますよね!だから『つけまつける』のときはお菓子の袋でスカート作ってみたり、最新曲の『インベーダーインベーダー』では古着を寄せ集めて作ってみたりしています。これならマネしようがない(笑)。一方でファンの方でコスプレしてライブに来てくれる人がいたり、子供がきゃりーちゃんの服に憧れたりしているのを見たりすると、それに対して期待を裏切らないように、応えていきたいなという強い想いがあります。

日本の“原宿ファッション”にスポットライトを当てて下さることはとても光栄なことなんですが、実際、今の女の子達ってネットもあるし色んな情報交換が出来ているから、それぞれの感度が凄い高いと思うんですよね。可愛くて安くて楽しい感じが、若い子たちのエネルギーによって日本の“原宿”という地域を通して、溢れ出ている状態だと思うんです。一方でアパレル業界全体で見た時に、ファストファッションによってコレクションやモード系の文化は間違いなく瀕死の状況なんですよ。だから日本のファッションを底上げしていくためにも、もっと若手のデザイナーに活躍の機会を与えるべきだと考えていますね。きゃりーちゃんに関しても学生で賞を取ったようなデザイナーたちの衣装を積極的に採用し始めています。私自身も今度ファッション誌「装苑」の誌面で学生たちの服と合わせてスタイリングするという企画をやるんですが、KURAGEっていう、もしかしたら世界一の技術力なんじゃないかって思うほど素晴らしい、日本のラバーショップを起用させて頂く予定です。そうした若手であったり、皆さんにもっと知って貰いたいようなデザイナーたちと一緒に沢山仕事が出来たら良いな、と考えています。

今回の取材を振り返って

取材中に見せて頂いたラフスケッチはどれも、出来あがりを期待してしまうようなワクワクするものばかり。とても数日で仕上げていったような衣装たちとは思えません。そんな独創的なデザインを精力的に発進し続けている飯嶋さんが取材中に強く語っていたように、日本のファッション文化を今以上に活性化させるためには、これから出てくる若手にチャンスを与える場所が必要なのかもしれません。そうして海外までも巻き込むほどのエネルギーが新たに生まれてきたときに、日本のファッションは次の次元に到達できるのではないでしょうか。

飯嶋久美子

飯嶋久美子
Stylist + Costume Designer
1974年、東京都生まれ。文化服装学院アパレル技術科卒業後、スタイリストおよびVOGUENIPPONでのアシスタントを経て、2000年にスタイリストとして独立。 現在は広告(CM、グラフィック、WEB)、エディトリアル、CDジャケット、ミュージックビデオ、アーティストの衣装デザインなど、様々なジャンルにおいてスタイリストおよび衣裳デザイナーとして国内外で活動中。

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