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スタジオジブリの今を描いた映画公開 砂田監督の独占インタビュー

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2013.11.28 UPDATE

映画監督 砂田麻美

東京都小金井市。閑静なこの住宅地で、豊かな緑に包まれてひっそりと佇むのが、日本が世界に誇るアニメーションスタジオ「スタジオジブリ」です。そんなジブリに若き女性監督が「しのび込み」、宮崎駿監督、高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーという、平均年齢71歳の天才たちの仕事と日常を見つめたドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』が話題を集めています。自身の父親の最期を描いた前作『エンディングノート』で一躍脚光を浴びた砂田監督が、1年にわたるジブリでの日々で見たものとは……?

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「映画にする」と話した瞬間に、鈴木さんの表情が変わったんです

2012年の秋ごろから約1年間、宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の制作風景を捉えたドキュメンタリー映画。 2012年の秋ごろから約1年間、宮崎駿監督『風立ちぬ』と高畑勲監督『かぐや姫の物語』の制作風景を捉えたドキュメンタリー映画。

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──この企画が生まれた経緯から、教えていただけますか。

砂田:ある会社から、ジブリのドキュメンタリーを作りませんかというお話をいただいたのがきっかけでした。ただそのときは、映画にするとは決まっていませんでした。また、宮崎監督や高畑監督にはインタビューできないという条件でしたし、ジブリとまったく接点のなかった私が撮るのは難しいと思っていたんです。ただ、難しいと思いつつ、すごく気になっていました。なんていうか、とても大事な縁であるような気がしたんです。それで悩んだ末に「やる」と決めて、改めて鈴木さんのところにお願いに行きました。鈴木さんははじめ、「何がしたいのかよくわからない」と首をタテに振ってくださらなかったんですが、追い詰められた私が「映画にします」と話した瞬間に表情が変わったんです。「今までたくさんドキュメンタリーが作られてきたけど、映画なら違うものになるかもしれない」と…。そこからすべてが始まりました。

──撮影対象者と砂田監督とのつかず離れずの距離感に心地よさを感じました。カメラを向ける際、どんなことを心がけていたのでしょう?

砂田:ジブリ側から、「ここは撮らないで」と言われることは一回もなかったんです。「撮ってもいいですか?」と聞くほうが煩わせてしまいそうな瞬間も多々あったし、本当にダメなときは言われるだろうと思って、いつも勝手に撮影していました。ただ、撮影を始めたばかりのときに、鈴木さんから「忍者になりなさい」と言われていたんです。「気配り」という言葉があるけれど、取材に大事なのは「気配り」から「り」を消した「気配」だ、と。そのことを肝に銘じ、「気がついたらそこにいた」という存在になるよう心がけていました。それで撮影後半には、鈴木さんから「動くお地蔵さん」と言われたりもしました(笑)。

──いることが自然な状況を作られたんですね。

砂田:そうです。あと、机をひとつ用意してくださったので、社員の人たちと同じように朝から行って、一日中いたんですね。だからカメラを回してない時間も、たくさんありました。回していないときは、みなさんと一緒にお昼を食べたり、考えごとをしたり、ぷらぷらしたり(笑)。ときどき鈴木さんに「砂田くーん」って呼ばれたりすると、本当にジブリで働いてるような気分になりました。ジブリのみなさんは、一度、門を開いてくれた人に対してはあたたかく受け入れてくれる。その環境はすごく恵まれていたと思います。一方で、一つの作品を完成させていくうえでの結束力を目の当たりにして、やはりジブリって「国」だなと思う面もありました。だからどんなに親しくなっても、相手は取材対象者であるという緊張感は、最後まで途切れることはありませんでした。

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映画の中の時間は、私が見ていた時間経過そのものなんです

宮崎監督は一日中机の前で書き続けているそうだ。 (c)2013 dwango
宮崎監督は一日中机の前で書き続けているそうだ。

宮崎監督が外に出ていけば砂田監督もついて行った。そして日毎に変わっていく空や草木を一緒に観たという。 (c)2013 dwango
宮崎監督が外に出ていけば砂田監督もついて行った。そして日毎に変わっていく空や草木を一緒に観たという。
(c)2013 dwango (c)2013 dwango

──砂田監督と宮崎監督がカメラ越しに対話するシーンも印象的でした。

砂田:基本的に私は、なにか答えを求めて聞きにいくという、いわゆるインタビューはしなかったんです。会話の流れの中で質問することはありましたが、私から強い目的をもって宮崎監督に話しかけることはほとんどありませんでした。

──では、宮崎監督がしゃべっているときは、宮崎監督がしゃべりたかったとき?

砂田:そうだと思います。そのかわり、どのタイミングで監督のそばに寄るかは、ものすごく考えました。集中しているときは、近くにいるだけで気が散るので。今、後ろにいていいのか、よくないのかは、ずっと悩みながら撮影していました。

──『風立ちぬ』の絵コンテを仕上げる瞬間など、緊迫した場面にもカメラを向けられていました。

砂田:宮崎監督は、一日中ずっと机の前にいて描いてるんです。一見すると、何も変わらない。でも、そのなかにも変化は起きているはずだと思って、20〜30分毎に窓越しにのぞいてました。「何してるのかなあ」って。それで、ちょっと気になることがあると、カメラを持って近づいていくということを繰り返していました。あのシーンも、そんなふうに観察するなかでやっと撮れたもの。あの瞬間だけは撮りたくて、ずっと待っていたんです。

──創作現場だけでなく、屋上庭園からの空の眺めや住みついている猫の姿など、ほっと気持ちが和むような日常風景も多く描かれています。

砂田:この映画に出てくる、本線とは直接関係なさそうにみえるカットたちというのは、そのまま自分がジブリにいた時間の流れなんだと思います。たとえば私が、ひとつの答えを導き出すための撮影の仕方をしていたら、時間を効率的に使うために、必要なカットだけを意識的に撮影したでしょう。でも私は一日中いたので、時間はたくさんあった。そのなかで、宮崎監督が外に出ていけば私も出て、カメラ持っていても持っていなくても、空や草木が日毎に様子を変えていくのを一緒に見ていた。映画の中の時間は、私が見ていた時間経過そのものなんです。

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映画に「産んでくれてありがとう」と言われたように思う瞬間がある

撮影中は社員の人たちと同じように朝から行き一日中いたという。ラジオ体操は日課であった。 (c)2013 dwango
撮影中は社員の人たちと同じように朝から行き一日中いたという。ラジオ体操は日課であった。

鈴木敏夫プロデューサー。仕事場でのひとこま。 (c)2013 dwango
鈴木敏夫プロデューサー。仕事場でのひとこま。
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──1年間にわたりジブリを見てきて、ジブリの印象は変わりましたか?

砂田:多くの人が、ジブリという会社に夢を感じていると思います。子どもたちに優しいとか、自然が豊かとか。そういうイメージはまったく覆されなかったですね。夢を提供する場所って、往々にして恐ろしい場所であったりしますけど、ジブリは働いている人たちもみんな穏やかで、そういう恐ろしさは私の目には見えませんでした。恐ろしさがあるとしたら、それはもっと複雑で、深いもの。宮崎さんや高畑さんや鈴木さんが持つ、一般的な人とは違う能力に対する、畏怖の念のようなものだと思います。

──実際、宮崎監督や鈴木さん、高畑監督はどのような人だと感じましたか?

砂田:宮崎監督は終始、私に対して優しくて紳士的でしたね。またサービス精神もある、とてもチャーミングな人でした。そういう雰囲気はジブリ全体に浸透していたと思います。鈴木さんはお会いする前はもっと自分を全面に出すタイプの方かと思っていたのですが、それはプロデューサーの役割を演じているだけだと気付きました。だから鈴木さんは両監督やジブリの話ばかりして、自分のことは殆ど話さない人でした。高畑監督は別のスタジオにいらっしゃるので、殆どお会いする機会はなかったのですが、毎日あれだけジブリ内で名前が出てくるというのは、やはりとても大きな存在なんだな、と感じました。

──劇中で宮崎監督が「自分が幸せになるために作品を作っているのではない」という発言をされます。砂田さんは、この言葉をどう受けとめられたのでしょう。

砂田:確かに、何のために作品を作り続けるのか、というのは考えさせられますよね。私自身も映画を作っているときは、2度とやりたくないと思うんです。もうほんとに、ぜったいに、やらないって(笑)。それでも、また次の映画を作るのは……なぜなんでしょうね。時折、作品を観た方に、「作ってくれてありがとう」と言われることがあるんですね。そのとき、映画自体は言葉を発さないけど、人を通して映画に、「産んでくれてありがとう」と言われたように感じることがあります。一瞬なんですが、そのときに初めて「作ってよかったな」と自分を肯定できるんです。そう考えると、私はジブリに1年通い続けたことで、とても精神を鍛えられたような気がします。宮崎監督や鈴木さんたちの仕事ぶりを見ていると、自分の幸せのためだったり好き嫌いだったりでやれるような次元を遥かに超えているんです。体力的にも、精神的にも。その中にあっても、目の前のことを一生懸命に取り組む姿勢が作品作りにとって大事なんだと痛感しました。

──最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

砂田:撮影した映像はトータルで350時間くらいあって、それらをまとめるのにとても苦労しました。数秒変えただけで印象がガラッと変わってしまうような濃密なシーンばかりでしたが、繰り返し編集し直してやっと完成させました。是非、劇場でスタジオジブリに流れる時間を体感して頂ければと思います。

「夢と狂気の王国」公開情報

「夢と狂気の王国」公開情報

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「夢と狂気の王国」
配給:東宝
2013年11月16日より公開中
公式サイト:http://yumetokyoki.com/

あらすじ
2013年、東京・小金井。碧々とした緑に身を隠すようにして、国民的アニメーションスタジオの“スタジオジブリ”は存在している。宮崎駿、彼の先輩であり師匠である高畑勲、そしてふたりの間を猛獣使いのごとく奔走するプロデューサー、鈴木敏夫。 観客のみならず、世界の映画関係者やアニメーションの担い手たちにも多大な影響を与え続けてきたジブリの功績は、この天才たちによって紡がれ続けている。彼らの平均年齢は71歳。 「風の谷のナウシカ」制作よりはるか以前、今から50年前に高畑と宮崎は出会い、鈴木が合流したのが30数年前。 かくも長期に亘り苦楽を共にしてきた彼らの愛憎、そして創作の現場として日本に残された最後の桃源郷“スタジオジブリ”の 夢と狂気に満ちた姿とは…。最新作の「風立ちぬ」(宮崎駿監督)と「かぐや姫の物語」(高畑勲監督)を制作中のジブリに広がる光と影に満ちた日常を通じて、繊細な表情までを捉え、スタジオの“今”を映し出した、砂田麻美監督。 前作で数々の新人監督賞を受賞した彼女が伸びやかに描く、唯一無二のスタジオジブリの新たな物語。

取材を振り返って

屋上からの眺めに深呼吸し、愉快な登場人物に笑い、緊迫した会議に息をつまらせる。天才たちの仕事だけでなくその日常にも光を当てたこの映画からは、まるで自分がジブリにしのび込み、その生活をのぞいているようなドキドキと楽しさがありました。国民的な巨匠にカメラを向けることに恐れはなかったかとたずねると、「私はいつもそういうことに、後から気付くんですよね。でも気付いてからはずっと、長いトンネルの中にいるようでした。実はこの一週間くらいなんです、やっと笑えるようになったのは」と小さく微笑んだ砂田さん。フラットな視点からジブリを見つめ、繊細かつ大胆な感性で紡いだその物語は、「肉眼で見えるものが世界だ」という宮崎監督の言葉を継承する、新しくも真っ当な「ジブリ映画」であるように思いました。

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砂田麻美
1978年生まれ。慶応義塾大学在学中よりドキュメンタリーを学び、卒業後はフリーの監督助手として是枝裕和監督らに師事。ガンを患った自身の父親の最期に迫った初監督作品「エンディングノート」(11)は、一種の社会現象を起こし数々の新人監督賞を受賞。ドキュメンタリーとしては異例の興行収入1億円を突破した。松任谷由実(荒井由実名義)の「ひこうき雲」ミュージッククリップやau「ジブリの森」のCMの演出も手掛けている。

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